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その日考えたこと、昔から考えていることを

私が偏差値48の商業高校から筑波大学を目指すまでの経緯

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こんにちは。

この記事では、偏差値48の商業高校から私がなぜ筑波大学、あるいは一般大学入試を目指したのか、その経緯をご紹介したいと思います。

 

幼少〜中学時代

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私は福島県に生まれ、子供の頃から自然豊かなところで育ちました。

性格は、今でも変わりませんが少し抜けているというかボーッとしたところがあります。人と競い合うのはあまり好きではありませんでした。

昔から、物事を少し俯瞰的に見るくせがあります。自分が何か大きなものに所属しているという一体感があまりないのです。

学校の転校が多かった事も関係しているのでしょうか。クラスの中でもグループに所属するのは苦手で一人で本を読んだり、散歩する方が好きでした。

昔から勉強はあまりできる方ではなく(特に宿題をやるのが苦手で)事あるごとに怒られていました。学校の勉強をやる意味が自分の中で見出せていなかったのです。

そのまま私は中学3年生になります。周りのみんながあくせく受験勉強をする中、私はひたすら自転車で市内を駆け回るという日々を送っていました笑

自分の脚でどこまでも行ける、という全能感が嬉しかったんだと思います。

(このように、みんなと同じような行動が苦手一人で自分のやり方を模索するのが好き、という行動には商業高校から一般入試を目指すという私の性格が現れていると思います笑)

しかし、時は過ぎいよいよ受験本番になり、自分の志望校を決める時が来ました。

件の如く、勉強なんか一切せず、絵を描いたり、散歩をしたり、自然を感じたり、映画を見たり、本や漫画を読んだりしていた私は自分の学力と照らし合わせて入れる高校に入れればいいや〜という軽い気持ちで商業高校に進学しました。(制服も森英恵さんのデザインでとても可愛かったのです笑)

高校時代

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 Photo on Visualhunt.com

 高校で待ち構えていたのは、電卓とエクセルの関数との格闘でした。

商業高校は普通の勉強はあまりしません。その代わりに「簿記」や「情報」や「ビジネスマナー」など、社会に出てから役に立つ実用的な事を徹底的に学ぶのです。

数学が苦手な私は、簿記などの公式がたくさん出てくる計算問題についていけず、ここでもまた怒られまくりました。

その日々を送るうちに「あぁ、人生の選択って大事だなあ」と痛感したのです。(遅い笑)

大学では好きなことを学びたい」、「ここで選択を誤れば、次もまた同じ思いを抱くに違いない」と確信した私は一念発起し、自力で一般入試を受けることを決意します。

高校1年生の6月ごろ、私は進路担当の先生に「芸術や文化史を学べる国公立大学に進学したい」という意志を伝えます。

 

しかし、返ってきた言葉は「お前にはあまりにも無謀だからやめておけ」でした。

ガァァァーーーン!!!

やっぱり、高校受験も半端な気持ちでこなした私には大学受験なんて無理なのかな…でも、大学に行って好きなことを学びたいな…という思いを抱えたまま私は高校3年生になります。(普通に学校の勉強をしてました)

生徒の多くは、在学中に身につけたスキルを活かせる事務職や銀行などに就職します。専門学校や経済学部・商学部のある大学に指定校推薦で入学する生徒も多いです。 一般入試で大学に行く生徒はほぼ0です。

ここは、高卒でバリバリ働けるようになるためのスキルを身につけるための学校であり、一般入試で大学に入りたい私のような異分子はいないので当然です。

 国語や英語などの授業もありますが、受験では全く歯が立たないレベルです。 

 先に書いたように、私は簿記の勉強も情報の勉強もあまり好きではなくそれらの成績も良くなかったので評定平均は3.6程度でした。なので、推薦で大学に行くというルートは敢え無く断念。(最初からその気はありませんでした)

しかも、私の高校には美術の授業はおろか美術の先生自体居ませんでした。笑

 

そんな状況でしたので、芸術系に進んだ生徒は前例がないわけだし、ここは自分の道を自分で拓くしかないと思った私は一般入試で受験することを本気で決意します。

しかし、昔から勉強が苦手な私です。現役の時は勉強法もわからず、自分周りに勉強のノウハウを教えてくれる人も居なかったため全く歯が立ちませんでした。

高校の偏差値は48ですが、大学受験の偏差値に換算するとおそらく35程度だったのではないかな〜と思います笑

そんな有様だったので、センター試験は全体で4割も取れなかった気がします笑

 

そして、1年の浪人期間に入ります。

 浪人時代

uimtan.hatenablog.com

uimtan.hatenablog.com

 当時の勉強法はこれら記事に書いたのでご参照ください。

浪人時代は本当に辛かったです。何よりも自分自身が自分の首を絞めていました。誰に言われたわけでもないのに「勉強しなければ自分の価値はない」という強迫観念に常に押しつぶされそうでした。

勉強仲間もいなかったので、自分の悩みは共有される事も発散される事もなく、いつまでもぐるぐると自分の中に留まり続け、軽い鬱状態になっていたと思います。

 

こんなこと書くと「うわ、やっぱり大学受験って過酷なんだ!やめよう!」と思ってしまう方もいるかもしれませんが、やり方さえ掴めばここまで苦しむ必要はないです。

自分自身に対する厳しさはある程度必要ですが、自分のことを認めてあげることも大切です。

昨日はこの問題ができなかったけど、今日はちゃんとできてる!自分ってすごい!天才!と思う気持ちも必要です。

上を見上げてはキリがありません、しかし下を見てもキリがないのです。他人と自分を比較して「自分はダメだ」なんて思わずに、自分対して真摯に向き合い現状を把握してください。

一歩一歩進んでいけば、必ず達成できます。とにかく、「自分は前に進んでいる」という感覚が大切だと思います。

私は、受験年度の12月の時点ではセンタープレテストで5割程度しか得点できないボロボロの状態でした。

しかし、最終的にはセンター試験世界史90点、国語176点(古文満点)、英語147点をマークし、二次試験も割と手応えのある状態で、なんとか筑波大に入学する事ができました。

人間、踏ん張ればなんとかなるもんですね笑

 現在

私はこうした経緯を経て筑波大学に在籍しています。入学後もいろいろありましたが、現在の自分が人生の中で一番好きです。

大学入学という大きな目標を達成してからは自分に自信がつきました。大学に入って初めて自分のことを理解/評価されるという経験をしました。やっと、「自分の居場所はここだ」と思えました。

自分は勉強もできないし、ダメなやつだと思っていましたが、そうではなく単にその意義を見出せていなかったからだと気がついたのです。

今までの人生の中で無駄なことは何一つなかったです。

中学時代に感性のままにフニャフニャとしていたからこそ、今の人格が形成され、商業高校に入りました。

商業高校に入ったからこそ、自分がいる場所の大切さというものを身をもって体験し、一般入試で筑波大学という選択肢を選びました。

浪人時代にレールも何もない状態で、自分の道を切り拓くという経験をしたからこそ、大学卒業後の進路も真摯に見つめることができています。

受験生時代に苦手だった英語も、いまは大好きです。

 

人生には無駄なことは何一つありません。自分が今そこにいるのは必ず理由があっているのです。

もし、今自分が受験勉強で悩んでいる、私と同じ/近い境遇にいるという方がこの記事を読んで少しでも自身の可能性に気がついていただけたら幸いでございます。

受験はやってみないとわかりません、最後までわかりません。

自分に対して自信を持ってください。絶対に希望する道が拓けます。

大学を受験される方々がこの記事を読んで、無事合格されることを願ってやみません。

頑張ってください。

 

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